ラストプロデュース
ベストアルバム『完熟Berryz工房』の発売日が2015/1/21で、これが、レコジャケに「Produced by つんく♂」記載がある最後の作品である。Berryz工房は誕生から終焉まで、ハロプロ総合プロデューサーとしてのつんく♂と生涯を共にできたグループであった。スマイレージ大改造計画
2014/9/24、ハロステにて増員&改名の予定を発表。翌月10/4、三名が新加入。12/17、新グループ名が「アンジュルム」と決定。改名後第一弾楽曲「大器晩成」は2015/1/2の冬ハロコンで初披露され、スマイレージ時代になかった赤羽橋ファンクサウンド(ファンクはつんく♂サウンドの代名詞)が熱狂的に受け入れられる。センターには新人の佐々木莉佳子を抜擢。そして2015/2/4、「大器晩成」を表題曲とする、アンジュルム名義での1stシングルがリリースされる。そこにはつんく♂の名がどこにもクレジットされていなかった。昨9月下旬からの四ヶ月強にわたる一連の流れは、今振り返ると、「つんく♂の秘蔵っ子、スマイレージ」というイメージを払拭してつんく♂色を臭わせない新グループとして再出発するための、つんく♂降板を踏まえたうえでの段階的手続きだった…ように見えてしまう。
本当にそうなのかどうかは判らない。サンスポ報道によると、プロデューサー降板が決断されたのは2014年10月だそうだが、一方で、2013年秋の時点で既に山崎UFG会長がつんく♂に休養を勧めていたそうだから。つまり、「降板決定を踏まえたうえでの手続き」ではない、のは確実だが、2014年春夏の時点では既につんく♂が“いっそ明確に降板して休養するいうのもありかもしれへんな”という考えに傾いていた可能性も十分考えられる、ということだ。なにしろ2014年2月には癌が発覚したのだから。彼自身がTNX社の経営者でもあったし、“癌患者がキーマンで、在職したまんま仕事のペースを落とし放題落として、引き継ぎもよう行われへん、てなったら周囲も大変やしな”とも考えたかもしれない。
推理重
2013年秋に山崎会長から休養を提案され、それから実際に癌が発見されるまでおよそ半年あった。この期間が、ペースダウンを本格的に検討した最初のタイミングだろうか。8-9年前から声帯左側に違和感をもち続け、ファルセットが出せなくなっていた、というのだから、その回復のためにどこかで多少のペースダウンを入れる必要はあるときっと予想していただろう。そのキッカケになったのが、2014年10月からの発声困難だったのだろう。自分も生検手術をしたことがあるからわかるが、生検入院は即日できるようなものではない。つんく♂の仕事のスケジュール調整も手間であったであろうことを鑑みれば、発声困難に陥ってからは十分素早くペースダウンを決断したといえるのではないかと思う。という
しかし、結局、正式降板を決意したのは喉頭がんの再発という最悪の事態が訪れた後だった--というのはいかにも切ないことである。ペースダウンや一部の権限委譲は行われていたのだろうが、もしかしたら、“完治したあかつきには、ペースアップや権限の取り戻しもしたるでぇ”ぐらいのことは思っていたかもしれない。一時のペースダウンで済むはずさという希望を、「油断」だなどと呼びたくはないが…。ワーカホリックの性かと思うと、泣けてくる。
仕分け
癌発覚がいつハロメンに伝えられたのかは判らない。もしかしたら、2015/3/6の一般公表を見て知ったのかもしれない。いずれにしても、2月もしくは3月以降にスマイレージ大改造プロジェクトが始まったのだけは確実だと思う。何故なら、和田彩花・福田花音はインタビューで何度も、グループの存続および将来について「スタッフに」相談をもちかけたと明言している。何故相談相手がプロデューサーでないのか。それは「つんく♂に喉頭がんが発覚してそれどころじゃないから」に相違ないだろう、きっと。和田・福田の相談を受けて、会議を進めるうちに、増員と改名という案がスタッフの側から出てきたらしい(福田卒業は当人が言い出したそうだ)が、そのような案が出たということは即ち、その時点で既にスマイレージのプロデュース権はつんく♂からスタッフに移譲されていたと考えることができる。癌の第一次発覚時(2014年2月)に、どのプロジェクトは引き続きつんく♂が(ペースダウンしながらも)進めるか、どのプロジェクトはスタッフに移譲するか、を急遽仕分けしたのだろうと思われる。その結果、Berryz工房はつんく♂が引き受けることになり、スマイレージはスタッフに託されることになった…
そう考えると、スマイレージが一年に二回もミュージカルに挑戦するはめになった「SMILE FANTASY!」は、6人時代のスマイレージに対するセレブレーションであり、なおかつ、スマイレージを託された側からの、生みの親への敬礼だったのか、などと思う。
ラストプロデュースに向かう
Berryz工房、2014/8/2の無期限活動停止宣言はつんく♂にとってもショックだったようだ。ラストシングルに寄せたライナーノーツの一節、“あとしばらくはBerryz工房と共に夢の続きを見させてほしい”は、当時はずいぶん儚い言葉遣いをするものだと思ったけれども、つんく♂が引き続きプロデュースをすることに決めた途端のこの展開、と考えると、つんく♂が落胆した気持ちが分かるような気がしてしまう。ちなみに、無期限活動停止宣言を受けてのブログエントリでは、つんく♂は自分の肩書を「Berryz工房プロデューサー」と名乗り、一方、スマイレージ増員&改名発表を受けてのブログエントリでは特に何も名乗っていない。こんな些細な差異にも、自分の推察の裏づけを見つけたような気がしてしまうというのは悪癖だ。