島村うたちゃん元気でね、そして

うたちゃんの脱退は昨夜22:05頃知った。第一報が22:00ちょうどだから、まあまあ早いほうだったと思う。

二日前のハロステで、ちぃたんが「Greeting」(新人が挨拶代わりに発売するイメージBlu-rayの統一タイトル。必ずしも全員出せるわけではない)を撮影して来た、と言ったのを聞いた時に、あっ、と感じた。もしかしたら、本当にうたちゃんは辞めちゃうのかもしれない。それまではネットの噂は気にしてなかったんだ。サボってるだけなんじゃないの?その程度の問題児はどこにでもいるっしょ、と。

しかしてその懸案が現実のものとなった今。ショックを受けているかというとさほどではない自分がいる。

もともと、里田まいにサプライズされた時の、大人を信用していない感バリバリの硬い表情をしていたうたちゃんは、初見で、“こいつぁとんでもねえタマがきた!”と感じた。“希空の上位互換だ!”とも思ったな。なので、その後、元旦明けのハロコンから始まったうたちゃんフィーバーには正直ついていけなかった。ああいう、純朴そうな照れ子ちゃん、はにかみ子ちゃんってのがヲタを熱狂させるのか。俺の、オンザ眉毛前髪パッツンで不審そうな表情してるほうが好きという嗜好は、マイノリティなのか。こんな思いをもってここ半年見てきてたのでね。

というわけで、自身は特に精神的痛手は負ってません、という話で済むといえば済むのだが…自身は、だよ、それは。ハロプロにとっては大・大・大・大打撃だよ。痛恨の極みだよ。

いやぁ、想像するだにシリアスになる。UFP社の被った直接的経済損失は、所詮外野なので細かいことは解らない。だからそれは放っとくとして、論点を、グループと残されたメンの今後の芸能界的成功だけに絞ってみても、これは、途轍もない茨の道に突き落とされてしまったことになる。

今後どんな大器晩成を実現したとしても、カントリー・ガールズは常に過去の臥薪嘗胆のストーリーと共にしか語られなくなってしまうということだ。メジャーデビュー間もなく、エースでセンターの一番人気メンバーを失った、悲劇のアイドルグループ。不安に震える10代のメンバー達の運命を背負いながら、嗣永桃子は如何にして逆境を乗り越えていったのか!…てな煽り文句の再現VTR。今まさにももちがゲストとして出るようなタイプのTV番組だよ。そんなど根性テイストにハマるグループとして設計されたんだっけか?このカントリー・ガールズは?そんなわけないだろう。

スマのように『脳天アッパラパー、だけどルックスはマジA級キュート+音楽もマジA級ポップ』→『あたしら、七転び八起きだったけど臥薪嘗胆から逆襲して大器晩成する魔法使いだよ、ナメてもらっちゃ困るねえ』に個性リフォーメーションするなどというウルトラCを成し遂げつつあるのは、ハッキリいって超レアな大成功例。こんなのが他所でもヨコ展開できるなんて、思っちゃいけません。

まなかんとちぃたんには、ヒップホップダンスという隠し球スキルがあるけど、仮にこれを前面に出して、これまでのアメリカンオールディーズポップス路線と似ても似つかぬダンサブル路線にリフォーメーションするというのも、ももちがついていけない(技能的にも、個性的にも、体力的にも、志向的にも)から無理。

ダンサブル路線に舵を切るのは、ももちを切ればできる、っちゃあできるんだけど(それだけでなく改名も必要だろうけど)、UFグループ的には、カントリー・ガールズの当初構想としては、『これは嗣永にグループマネジメントを経験させ、嗣永のタレント育成能力を開発するプロジェクトである』という、人材開発視点の意味合いも間違いなくあったはずなので、となると、たぶん、“この逆風をどう主体的に跳ね返すのか、おい嗣永、ここでお前の踏ん張り、見せてもらうからな”ぐらいに考えてるんじゃないか。

ゆうかりんの亡霊に悩まされ続け、艱難辛苦の路を辿った--平たくいえば売上回復に時間がかかりすぎた--スマの二の轍を踏まないために、カントリーをまったく別路線のグループとして再生させる。そのために空席になってしまうSATOYAMA基幹グループを、新たに作り直すことも厭わない。--という、この↑選択肢をもし選ばないとするなら、即ち、現カントリーの路線を引き続き進むとするなら、その場合、必要なのは、新メンの追加になると思う。

残された5人が力不足かどうかとはまったく関係ない。「エースが抜けてしまって先行き不透明なグループ」という心証を、「前エースに引けをとらないほどの新エースが入って心機一転、ポジティヴな空気に満ちているグループ」という印象で《上書き》することが必要なのだ。つまり、いい意味で、うたちゃんの存在をすっかり忘れ去らせてしまうほどの話題性をもった存在が要る。そういう存在がいないと、いつまで経っても、“2015年にエースの島村が脱退し、一時は先行きを危ぶまれたカントリー・ガールズ。そんな彼女達が今般~”という枕詞が外れない。そういう枕詞つきの紹介を聞かされる一般層は、その都度、ああ、このグループ、大変だったんだね、という印象を潜在意識にもってしまう。いつか5人のカントリーがブレイクしても、潜在意識下のかつての印象が呼び起こされ、臥薪嘗胆ストーリーというフレームに当てはめてでないとカントリーを受け付けなくなってしまう。結果、カントリーは、大衆におもねって、まるで似合いもしない、苦節ウン年の浪花節グループになってしまう。その頃には、フレッシュだった10代メンバーも皆苦労人の顔になっている。カントリーを立ち上げたスタッフは、苦労の末にブレイクしたカントリーメンを見て、安堵しつつもその一方でこう思うだろう。“この子達のあの頃の希望に満ちた無邪気さを、陰で全部使い果たしちまったうえでのブレイクだな、今は。こんな顛末になるんだったら、ピュアな顔ぶれを集めたあの2014年の狙いは、全部空振っちまったってことなんだな、ぶっちゃけ”。

こんな結末になりたくないなら、今のうちに、ヲタが早々にうたちゃんを懐かしまなくて済んでしまうようになるくらいの人材を投入しなければならない。結局、マスメディアが何かの存在に枕詞をつける際に参考にするのは先行記事であり、最先行記事をかく人が参考にするのは、「そのトピックにおける最もコアなコミュニティ内での定評」だからだ。そこでうたロスが蔓延っていれば、“へぇ、この島村って子が辞めたのはそんなに影響甚大だったんだ”と理解される。新メンフィーバーに沸いていれば、“おぉ、なんか前向きな空気に満ちてんじゃん”と思う。その感想に従って、記事はかかれる。そういうものだ。

幸いにして、カントリーの大ブレイクはハロー界隈に限ってのことで、一般層にはまだまったく届いていない。今のうちだ。今のうちに、うたちゃんの存在を前向きな意味で黒歴史にするくらいの勢いでリカバーしなければ(実際には黒歴史になどできないのは判っている。メジャーデビューしていなければ、ジャニーズのようにシレッとメンバーを入れ替えるなどということもできたかもしれなかったのだが…)。

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