鞘師里保卒業に伴うUFグループサイドの準備状況を推測する

「アイドルもういっちょ!」でどぅーが“PRISMツアー札幌公演後の夜、宿泊先でマネジャの部屋に行った鞘師さんが、私との相部屋に戻って来た時、目を真っ赤に泣き腫らしていた”という新事実を明らかにしていた。

この札幌公演というのは10/24(土)。マネジャとの二人きりの面談で卒業するのしないのの最終決定なんか、できるわけがない(UFP社サイドはもっと上のクラスの上長が必要だし、鞘師サイドは保護者が必要)から、この場では、卒業公表の段取りが説明された、ぐらいのことだったのだろう。そして、いよいよ大一番の日程が定まり、緊張が高まってきた鞘師が、感極まって泣いた、と。そういうことなのだろう。

卒業が対外公表されたのが10/29(木)。10期11期12期には公表日とさほど変わらないタイミングで知らされたこと、同期である9期にはそれより前に知らせたこと、さらにリーダーのフクちゃんにだけはそのまた前に報告したこと、は既に明らかにされている。さゆが自身の卒業をワンフォーメンに前日に伝えたことを鑑みれば、10期11期12期への告知は前日28(水)、9期にはその前日27(火)、かまたは同日28(水)、そしてフクちゃんには26(月)以前だった…とでも推理しておくのが妥当と思われる。あまり早いうちに特定の人にだけ知らせると、何かの拍子でナーヴァスな面を表出させてしまい、10期11期12期を疑心暗鬼にしてしまうリスクがあるものだから。

また、はーちんがブログで“60thシングルのリリースはPRISMツアー中に決まった”とも明かしている。「冷たい風と片思い」は鞘師の卒業ソングとして書き下ろしたとつんく♂がライナーノーツで明言しているし、「ENDLESS SKY」も卒業を意識させる歌詞になってはいる。そんな曲を、鞘師卒業の事実を隠したままはたしてメンバーに歌わせるものだろうか??感情移入や表現欲求を引き出すためにも、鞘師ラストシングルであると伝えたうえで臨みそうなものじゃないかと思うのだが。振付師のYOSHIKO先生は、鞘師卒業ソングだと明かされたうえでの発注だったといっている。当然だろう。歌も同様ではないだろうか。

鞘師はブログで、11/13(金)にコーラスをレコーディングしたといっている。メインヴォーカルとコーラスとをそんなに間を空けて歌入れするとも思えないので、やはり、10/28(水)前後の、卒業告知以後に《「それ」を踏まえたレコーディング、およびリリース日告知》が行われたのではないか。“いやあ、「ENDLESS SKY」のレコーディングでは鞘師さんのことを想って泣いちゃって大変でした!”というようなエピソードが今後メンバー誰かから出てくれば、この推理もより強固なものになるのだが。

最速パターンで、10/28(水)に「冷たい風と片思い」「ENDLESS SKY」のデモ音源と歌詞カードを渡したと仮定すると、当然のことながら、それまでに作詞・作曲・編曲・仮歌入れ・仮ミックスダウンまで済ませてあったということになる。これらの作業にどれくらいの時間がかかるものかは推理しにくいが、サウンドプロデューサーのつんく♂が筆談で指示を出すしかなくなっているという現況を鑑みれば、どんなに短くとも二週間はかかるのではないか。

とすると、10月のちょうど真ん中頃に、UFW社からつんく♂に、UFG社内で鞘師卒業が最終承認された旨と、60thシングル年内リリースゴーサインと、その楽曲制作発注が正式にきた、ということなのだろうか。それが仮に10/14(水)だったとすると、24(土)までの10日間をかけて、UFP社内で卒業公表段階スケジュールが組まれ、もまれた、というのは、いかにも順当そうに思える。


渋谷駅前と秋葉原駅前の屋外ビジョンで流されているCMではハッキリと「緊急リリース」と謳われている。上述してきたように、卒業最終決定が恐らく10月中旬で、そこから一気呵成に楽曲制作と発表段取りを進めてきたと推測しているわけだが、さすがに、卒業の意思表示さえもが「緊急」だったのかどうか--そこまでは判らない。昨年末の暴飲暴食による肥満化、「青春小僧が泣いている」「夕暮れは雨上がり」のセンター不明瞭化、「イマココカラ」のセンター半喪失、7月の四日間連続仕事穴空け、「Oh my wish!」のダンサー専任、「今すぐ飛び込む勇気」のセンター喪失…これらが決心と実は何ら関係がない、という可能性だってあるのだから。

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